1996年(平成8年)
4月 (株)東京放送 TBS 入社
同期
私の愛するTBS時代の同期。
それはまるで動物園のようだった。井の中の蛙であった私にとって、この同期との出会いは強烈、そして刺激的だった。
いまでもいろいろな時に気を使って連絡をくれ、助けてくれる。情に厚い、気のいいやつばかりだ。
配属
3ヶ月の研修期間を経て、配属。
スポーツ部を希望していたのに、なぜか営業局。だいたい同期の幹事役とかをしていると、営業配属になるらしい?
男の子の幹事と、女の子の幹事であった私はそろって営業局へ。1年半ほどお世話になった。
その後、制作局、「はなまるマーケット」へ配属。AD(アシスタントディレクター)となった。
AD
番組をつくるという仕事はとても興味深く、楽しかった。「愛のある番組をつくる」と、プロデューサーはいつも言っていて、本当にそういう番組であったと思う。
ブッチホン
夜が遅いテレビ局の仕事。毎晩のようにブッチホンが来ていた。「どこにいるんだ」 「会社だよ」というと、安心して切った。
内閣総理大臣
制作局へ異動になったころ、ちょうど父が総理大臣になった。最低の支持率からのスタート。総理大臣が自分の親という事にピンとこなかった。
父は父、私は私、今自分に与えられていることを一生懸命やる。そのスタンスは変わらない。そして総理であろうとなんであろうと、父はいつも私の愛する父であった。
引越し
ADの仕事が忙しく、会社の近くに住みたかったことと、両親が首相官邸に引っ越したことで一人暮らしをする事になった。
初めての一人暮らし。そして初めて両親と離れた。そして24年間住んだ王子の家ともしばらくさようなら。
王子の実家
本当に古い家。築100年以上経っている。冬とっても寒くて、夏暑い。最近の家からみれば、住みにくい家かもしれない。
父はここが好きだった。私も好きだった。縁側も、すぐとげをさしてしまいそうな木の門も、急な階段も、4畳半の狭い私の部屋も、どこも好きだった。
一人暮らし
なかなか快適であったものの、不便はたくさんあった。料理をたくさん覚え、掃除も洗濯ももちろん自分でやった。いかに今まで親に甘えてきたかを実感。
首相官邸
父と母と、お手伝いさん一人と秘書さん一人で引越しした。古くておばけが出そう。最初は机も椅子もなんにもなくて、父はキッチンで仕事をしていた。
早く帰ることが出来るときは、官邸に顔を出して両親と食事をした。ADの私はいつも汚い格好をしていたため、官邸前でよく警察官に止められ、入れてもらえないことがたびたびあった。
スタイル
昔から、お化粧が嫌いだ。面倒くさい。だからADという仕事はむいている。たまに、両親から「それでいいのか?」と言われるけれど、まあいいでしょう。
不摂生しているため、顔はぶつぶつできものが出来てるし、眠いときは会社のトイレに隠れて寝てるし、食べ物はお菓子ばっかりだし、ひどいものだ。
Tシャツ、ジーパン、スニーカー、これが私の定番。
趣味
ダイビング
お休みがなかなか友達と一緒のときに取れないので、ひとりでも楽しめるようにとライセンスを取った。これがなかなか面白い。
沖縄の海が大好きで、海の中であの青のグラデーションを見ているとこのままずっとここにいたいと思う。
家族の中で泳げるのは私だけなので、両親は私のことを異色な目でみる。珊瑚を蹴らないように注意しながら、魚の気分で泳ぐ。
お芝居
母とよく劇団「四季」を観に行った。中学のときは「夢の遊眠社」が好きでよく行った。今でもNODA-MAPには欠かさず行っている。
あとは下北沢の駅前劇場で適当に並んで入る。お座布団で観るのも好きだ。最近チケットを取っておいても行けない事が多いから、当日券は助かる。
WAHAHA本舗も行く。気のおけない友人と行くのがいい。お薦めがあったら教えてください。
決断
父も母も大変なのは本当によくわかっていた。言うまでもなく、総理と言う激務。そして景気低迷の中のまわりからのバッシング。
母も慣れない官邸暮らしと総理夫人としての公務。2人が大変なのはよくわかっていた。私はというと、会社に行くと、もちろんテレビ局だからいつもテレビがついている中での仕事。
毎日流れてくる父へのバッシング。そういう立場に父がいること、それだけの責任を担っているということ、頭ではわかっているけれど心は納得いかない。
「父を傷つけないでほしい。」正直な気持ち。「なんでそんなひどいことばかり言われるんだろう」胸が痛かった。
でも会社の中では変わらない態度を装っていた。見ないようにした。聞かないようにした。会社での仕事は一生懸命した。心と体が一緒にならなかった。
制作の仕事がしたいといって、いろいろな方のご尽力により希望部署に行かせてもらったのが7月。
そして父が総理になったのも7月。まだまだやりたい。あまりにも中途半端だった。
父のことが心配で、たびたび公邸に顔を出した。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫だよ」と言った。その言葉で私は安心させてもらって、好きなことをさせてもらっていた。
でも、実際もう限界だった。ある日、同じように公邸に顔をだすと、父は寝室にいた。長いすに座って、父はつぶれたようになって寝ていた。
使いすぎて擦り切れた雑巾のようだった。もう、遠くから大丈夫?と言ってるだけなんてできなかった。
私は中途半端でなんの手伝いだってできないけど、でも近くにいなければ、と思った。なんでもいいから、どんな小さいことでも私に出来ることを父のためにしようと思った。
それが私のためだと。今、やらなければ一生後悔する。会社を辞めよう。と決めた。
相談
父に雇ってもらわなければならない。相談のため、官邸に顔をだした。いつものように父はたくさんの仕事を前にして書斎にいた。
相談があるから今度少し時間がほしいというと、仕事をやめて「今(相談)していきなさい」という。
「会社(TBS)をやめようと思っている。」と告げると「どこか他の会社にいきたいのか?」と言われた。
父の仕事を手伝いたいと思ってるとは思わなかったようだ。私の気持ちを告げると、あまりいい顔をしなかった。
(あれ?喜んでくれると思ったのに)と思いつつ、雇い主に断られたらおしまいだから考えておいてほしいと言い残した。
父は難しい顔をして、「おまえにはつらいと思うよ」と言った。
なんで?私にとってはなんにもしてあげられないでこうしているほうがつらかったんだよ。
・・・・とは言わなかったけれど、また連絡しますと言って帰った。
そしてブッチホン
2週間顔をださなかったら、怒り気味で父からブッチホン。
「で、お前いつから勤められるんだ?」
無事転職。
さよならTBS
そこから会社をやめるまで、本当に早かった。いろんなことがあった社会人3年間。貴重な経験をさせていただきました。
私のわがままを聞いてくれてありがとう。会社のためには何一つできなかったけれど、私はいろんなものをいただきました。
たくさんの良き先輩、同期、後輩に恵まれました。